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【Hayato's Report】特別篇『スーパーアグリの撤退に思う』

20080510072832
画像(C)TRT Communication


救済への糸口を掴みかけながら、志半ばで無念の撤退を余儀無くされた、SAF1ことスーパーアグリF1チーム。天見ハヤトがスーパーアグリへの想いを綴る。

(文:天見ハヤト)

2008年5月6日午後4時、『スーパーアグリ、F1から完全撤退』の第一報を受けた直後、筆者は溢れる想いを抑える事が出来無かった。

元々F1は好きだったのだが、筆者がF1を本格的に観戦するきっかけを与えてくれたのは、他ならぬSAF1だった。

2005年シーズンの終り頃、有名な『バトンゲート』事件により佐藤琢磨がBARでの居場所を失ったその時、日本国内では大々的なHONDAバッシングが沸き起こった。『日本人でF1優勝が最も近いドライバーを容易く斬って捨てるとは何事か!?』と。

そんな非難を少しでも緩和するべく、HONDAは『ウルトラC』とも言うべき驚天動地のプランをぶち上げた。それこそがSAF1の起こりである。

しかし、単に『参戦したいから許可を下さい』では罷り通らないのがF1である。参戦するに当たっては、べらぼうに高い供託金(保証金)を用意しなければならないのだ。鈴木亜久里は金策に走ったが、結局最初のエントリーリストには名前が上がらなかった。

追加承認を求め、今度は既存の10チームから承諾を貰わなければならなかった。渋るチームを懸命に説き伏せ、漸く全てのチームから承諾を得る事に成功、参戦の追加承認を得られたのは、2006年1月下旬の事だった。

マシンも、3年落ちのアロウズA23を突貫工事でSA05に仕立て上げ、どうにか開幕のバーレーンに間に合わせたが、待ち受けていたのは苦難に次ぐ苦難であった。

初代2ndの井出有治が、サンマリノでの危険行為を理由としてスーパーライセンスを剥奪されると言う事態にも遭遇した。それでも、光明は見えていた。ドイツから投入されたSA06は、シーズン最終戦のブラジルで、10位完走を成し遂げたのだ。

さて、明けて2007年シーズンは、二つの大きな問題でチームは苦しんだ。この他に『ギド問題』などもあったが、それはこの際割愛する。

一つは、所謂『カスタマーカー問題』だ。F1界の憲法である『コンコルド協定』や、附随するF1のレギュレーションでは、コンストラクターを『自前でシャーシを製造する事』と定義している。

しかし、SAF1が使用する予定のSA07は、HONDAが使用していたRA106ではないかという嫌疑が掛けられたのだ。

チームはその事で大いに悩まされた。

結局、SA07は『暫定車』として冬季テストに臨み、正式に発表されたのは、開幕戦メルボルンのパドックだった。

が、この年のSAF1はその逆境を撥ね除けるが如き大成果を挙げる事になる。メルボルンでQ2はおろかQ3にも進出してチーム最高の10番グリッドを獲得したのを契機とし、スペインではチーム初の1ポイントを獲得。カナダではワールドチャンピオン、フェルナンド?アロンソ(当時マクラーレン)と白熱のバトルを展開、遂にはそのアロンソをオーバーテイクして3ポイントを獲得したのだ。

だが、その快進撃も長くは続かなかった。二つ目にして最大の問題が、彼らに襲いかかった為だ。

それこそが、『SSユナイテッドによる契約不履行』という問題だ。

F1チームを運営していくには、恐ろしく多額の費用が必要だ。開発費、人件費、その他諸々の諸経費等???挙げ出したらキリが無い。そして、その莫大な費用を賄う為には、言うまでもなく潤沢な資金が必要となる。

2007年シーズンに於いて、SAF1はある会社とのパートナーシップ契約を結んだ。それが『SSユナイテッド』だ。中国に拠点を置く石油関係の会社である(とされているが、実態は不明のままだ)同社とのパートナーシップ契約は、資金を必要としているチームにとって、まさに救世主となる筈であった。ところが、その期待は、実に最悪の形で裏切られる事になったのだ。それこそが、件の契約不履行によるスポンサー料未払い事件だ。

チームに資金が回ってこなければ、当然リソースの開発は滞り、結果マシンのパフォーマンスは極端に低下する。それは、如何なるチームにあっても同様の事が言えるが、SAF1の様に規模の小さなプライベーターチームともなれば、それは瞬く間にチームの存亡に関わる死活問題となる。

鈴木亜久里は、またもや金策に走らなければならなかった。結局、その事が大きく響き、カナダ以降の成績は不振に終わった。

2008年に入っても、SAF1は未だパートナーを見つけられずにいた。そんな中、突如として持ち上がったのが、『マグマ』とのパートナー交渉だ。結局、それは破談に終わったのだが、今となれば、マグマは『SAF1終焉の使者』だったのかもしれない。

―それは何故か?

既報の通り、マグマからのオファーをSAF1に持ち掛けたのが、他ならぬニック・フライその人だったからだ。そして、バトンゲート事件に関与したのもまた、ニックだった。策士は既に策士に非ず、ただの暴走機関車に成り下がっていた。いや、元からなのかもしれないが。

この為、亜久里は急遽、それ以前から交渉していた『ヴァイグル』との交渉を再開させたのだが、時既に遅し。ニックの策謀に、まんまと乗せられたのだ。チームの為に最善を尽くして戦って来た、鈴木亜久里の挑戦が終わった瞬間でもあった。

筆者は、F1を愛する魂を持った日本人、鈴木亜久里が生んだこのチームを応援出来たこの上ない喜びを、一生涯忘れる事は無いだろう。ヨーロッパ中心に物事が動くF1界にあって、それすらも引掻き回すパワーを、このチームは持っていたからである。実際、SAF1設立を契機としてF1を観始めたファンも沢山いるだろう。そうした『日本に再度F1を普及させる』という意味で、SAF1が果たした役割、功績は非常に大なるものである。

それだけに、撤退は残念でならないが、せめてこれだけは言わせて欲しい。

例えSAF1が無くなろうとも、我々は誇り高きSAF1の一員であり、仲間なのだと。

某赤のサッカーチームでは無いが、堂々と、胸を張って言ってやろうではないか。

『We are SAF1!』と。
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