
画像(C)TRT Communicationスーパーアグリの撤退は、F1の改革意識を著しく削ぐ結果となった。これからのF1に何が必要なのか、天見ハヤトが鋭く斬る。
(文:天見ハヤト)
現代F1に於いて『最もエキサイティングなチャレンジャー』と言われたスーパーアグリの撤退報道から既に5日(執筆時点)が経過した。
巷では、『ニック・フライ陰謀説』が実しやかに囁かれているが、この件については、先のレポートにも軽く触れているし、多くの論客により記事が出ているので、本稿では敢えて割愛する。
それよりも筆者が強く言いたいのは、スーパーアグリの撤退により、『F1そのものが改革の機を失った』という紛れも無い事実なのである。
現代F1には恐ろしく金が掛かるのは既に前稿で論じた所であるが、ただお金に固執していては、真のレーシングスピリットは芽生えて来ない。
レーシングスピリットを具現化出来ていた初期のF1、その中にあって、最もエキサイティングなチャレンジャーが存在していた事は、F1に造旨のあるファンならば知っているハズだ。その人物こそ、他ならぬ本田宗一郎氏その人なのである。
彼が、イギリスの『マン島TTレース』を皮切りに多くのレースイベントに積極的だったのは周知の事実であるが、そのチャレンジに於ける究極的な到達点として選んだのが、言うまでも無くF1だった。
当時でさえ、レース参戦には多額の費用を要した。こと、HONDAは日本からマシンを持ち込もうとしていたのだから、輸送コストも相俟って、さらに費用が掛かっていたハズだ。
しかし、本田氏のレースに懸ける熱い魂は、他のどのチームにも負けてはいなかった。むしろ、既存のチームが『東洋からのチャレンジャー』である本田氏の情熱に刺激され、F1全体のモチベーションは、高くなっていく一方だったのかも知れない。それ程に、本田宗一郎がF1にもたらした影響は大なるモノであったと言えよう。本田氏が本物のレース屋だったからこそ、あのアイルトン?セナは本田氏を父親の如く慕い、本田氏もまた、同じスピリットを持ったセナを息子の様に扱ったのだと筆者は思う。
しかし、勇猛果敢なチャレンジャーであった本田氏が長年培って来たレーシングスピリットは、ある日を境にねじ曲がった方向へベクトルが変わってしまう。商業主義だ。
勿論、レースに参戦するからには上位を狙うのは必定といえる。しかし、市場主義経済に於いては、ただ『速い』だけでは客が付いて来ない。つまるところ、相応の『儲け』が無ければならない。こと、現代F1では、マニファクチャーと自動車メーカーとの結び付きが強い事も手伝って、その傾向は日に日に強くなっている節も見受けられる。
確かに、儲けが無ければレースを続ける事は不可能である。しかし、それだけではファンの心を掴む事は決して不可能だ。HONDAのサテライトチームという位置付けにあったSAF1だが、『儲けだけがF1では無い』という事を、身を以て証明したチームであると言える。事実、彼らは勇猛果敢に戦い続けた結果、累計で4ポイントを獲得しているのだ。つまり、『F1マシンの性能の違いが、戦力の決定的差では無い』のだ。そして、こうしたスピリットを、(特に日本の)企業は買ってしかるべきだったのだ。
国内にこうした土壌が無いのは、正直大問題だ。現状、日本に於けるモータースポーツ全体の認知度は低い。しかし、そこに目を付けて成功を収める事が出来れば、そこから世界を見据えたマーケティング戦略を取る事は十分可能である。
しかし、F1を始めとするモータースポーツへのスポンサードは、野球やサッカーに比べハイリスクだ。という先入観からか、手を付けようとしていない企業が多いのも、また紛れも無い事実なのである。だが、F1改革はこうしたリスクにとらわれない勇気こそがもっとも必要とされる要件なのだと、筆者は強く言いたい。目先のリスクにとらわれていては、改革の芽など出るハズも無いのだ。
従って、本稿に於いて筆者が導き出した結論は、某人気マンガの名言では無いが、モータースポーツの改革は『諦めたらそこでチェッカーフラッグ』なのだと言う事である。スーパーアグリの存在は、まさに改革の旗手であり、撤退がもたらした『保守的なF1の維持』は、更に多くのファンを落胆させる結果となった事を付け加えて、本稿を締める事にしよう。